相変わらず美大生気取りしてる

ワタリウム美術館で、拙僧の好きなマン・レイや、ピーター・ウィトキンの訳ワカメな写真を見る。月にプカプカ浮かんでる微生物ような写真と、死体を着飾った静岡のクリーチャーのような写真。拙僧はこういう写真をいずれ作ってみたいと思ったりしていた。

すぐ横でカップルの男が分かったような薀蓄を彼女に披露している。「〜だから、今の美大生や専門学生が撮る写真って駄目なんだよね。テーマがないもん」「アハハ、そうだね」

……ああ神様、どうか私めにRPGをお渡しください。そして、目の前にいる、毛頭被れの単細胞な糞馬鹿どもを分子レベルに分解し、ダイソンの掃除機で吸えるぐらい粉々にしてくださいませ。

始めからテーマ決めて写真撮るわけねーだろ。手前が写真や映画をテーマというもので見に来るなら、始めから見に来るんじゃねえ。と叫びそうになる。

腹が立ったので、帰りに「グラン・トリノ」と「GOEMON」見に行く。

「スペース・カウボーイ」から「チェンジリング」まで、イーストウッド映画を映画館で見て外れはなかった(ブラッド・ワークピアノ・ブルースは見てなかったけど)。「グラン・トリノ」もやっぱりというか、何というか外れでもなかった。どう見てもいつものイーストウッド映画らしい、イーストウッド映画。過去の傷の報復、克服というところだけ見ても、やっぱりイーストウッドは大根役者でも凄い漢だと思う。

「GOEMON」。拙僧は、前作のキャシャーンが結構好きだった。中二病映画とも呼ばれようと、ユーラシア大陸を占領してる日本。大亜細亜共和国連邦のビジュアルは邦画の粋を超えていたと思う。
んで、「GOEMON」。佐藤大が脚本やってないのね……。戦国BASARAの如く、倒錯しまくった1592年が舞台だけど、相変わらず大亜細亜らしさは健在。赤い西洋甲冑してる織田信長やら、ストームトゥルーパーにしか見えない白すぎる家康軍に、超構造体になってる城とかを見てるだけでも、充分環境映画として楽しめます。

滝でお姫様と忍者がイチャイチャ(昔の大映映画的)、板垣ゲームとしか思えないニンジャアクション、画面に向かってCGがドコーン(こういうの止めてくれ)、恥ずかしいことや、フラグ吐きまくって壮絶に死ぬ。など、ものすごく股間辺りがモゾモゾと居心地悪くなってしまう場面が、波状の絨毯爆撃になってるこの映画。頭の悪いアニメ的だの、中二病的だの言われようと、王道に吹っ切れてる紀里谷映画が拙僧は好きだ。